2008-04-27

>最近変な人がいなくなったのでコメントしたくなってる今日この頃。(笑)
(実は僕も同じ心情です)(別の某所では僕自身が「変な人」扱いされてますが)

>「時間による淘汰」とは「ヒトが存続する妨げ」を淘汰するのか、「ヒトの存続」が時間により淘汰されるのか、理解できない
普通に文意から判断すると、前者でしょうね。「ヒトがより良く生活できないような妨げは淘汰される」。
でも、
>これほどまでの規模で無駄を背負っている動物はいないと思うが
こうした考えは根本的に誤謬ですよね。つまり、「ヒトは動物ではない」脳の異常発達と、生まれてからの長期間に渉る現実からの乖離によって、人間の意識は現実から離れた所に幻想を作る。
これは精神分析では初歩の初歩だと僕は理解していますし、最近の脳科学でもそうなのでは?
ですから、僕は「ヒトがより良く生活できないような妨げは淘汰される」ことは原理的に不可能であると思っています。「時間を経れば淘汰される→良い方向に進む」といった楽観主義も、僕は否定しています。僕が文学・哲学・音楽の領域で古典と現代を共に参照しながら考察を進めていくのも、そうした発想からです。

人間は言うまでもなく、動物が生存に便利なように自然淘汰されるというダーウィニズムも実際には「ご都合主義」であって、歴史の発展は偶然に決定されている
というのが、僕が関心を持っているフランス系現代思想の基調です。その源泉の一つであるマルクスの『ドイツ・イデオロギー』で駆使される「交通」という概念が典型ですが、歴史は偶然の事件(=交通)が各所で勃発することによって進むが、それが共同体によって必然へと回収される。性交を考えると簡単に理解できますけど、単なる性行為と受精に過ぎない事象が、あたかも或る人間の始原と看做される。僕の好きな概念で言うと、それは「ロンダリング」なのであって、単なる偶然によって自分の存在や活動が基礎づけられるのが許せないという人間のナルシシズムに起因していると思います。インターネットというのはその観点からはとても興味深い。僕のBlogなどは極端に症候的ですが、実際には無数の偶然的な要素を僕は摂取し無数の雑多な発想をするが、他者に提示する面においては異常なまでに「清潔」を心がけている。本音を言うと、あれでもまだまだ「雑」「不潔」に過ぎて、日々不満なのです。僕が言語活動を重視するのも、先述の「ロンダリング」という観点からです。脳内では無数のイメージが渦巻き、雑多な言語使用をしている、だがそれを他者に提示する際には現在行っているように整理された形式に整えようとする。様々な詩人や小説家が現象界を嫌悪して言語による世界を構築しようと試みた事が、僕なりに理解できている状態に現在あると思っています。
単純に言えば、僕の直面する現実社会も部屋も脳内もあまりに乱雑なので、せめて言語やインターネットでは僕の好きなように整理したい、という事です。

Vさんの「チャイコフスキーの交響曲は順を追って自然の美しさから遠ざかって人間臭くなってる気がする。」というのは、その直後のエントリの「自然淘汰」に繋がるのでしょうけど、
そうした発想には美的観点から僕は批判的です。そもそも、「人間くさい」「自然の美しさ」というのは何かが定義されていない。五線譜も楽器も明らかに人工的ですよ。西欧音楽史ではワーグナーにおいて頂点に達しますが、人間の感情を調性音楽によって表現することは、どの条件で可能であるか。人間を意識主体ではなく、要因の偶然的結合体であると考えたニーチェが、西欧主体の意識/感情の放出の頂点としてのワーグナーと終生格闘したのは、先述の観点からは必然的に見えます。
ここ数日でBach, GoldbergのScoreが一挙にUp-loadされましたので、「人間的に見える音楽が、実際には技術的に処理された結果として実現されている」ことを実際の五線譜に沿って考察されてみるのも面白いかと存じます。僕はそこに、例えばAnti-WagnerであったStravinsky, Le sacre du printemps (春の祭典)と同型の発想を見ています。良かったらMusic-Fileを幾つか送信しますよ。
http://d.hatena.ne.jp/Jacques1930/20140601

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